お斎(とき)とは?~その供養の心~

お斎(とき)とは?~その供養の心~

食事会場の写真

葬儀の後や四十九日の「精進落とし」をはじめ、さまざまな法要の後に僧侶や親類縁者、あるいは世話役の方たちと共に会食をします。それは、故人の思い出話をしたり、久しぶりに再会した親戚とつながりを確認し合ったりするひととき。同時に、会食にはそうしたこと以上に、深い意味があると言います。「お斎(とき)」と呼ばれる法要後の食事にこめる思いについて考えます。

施主が施す食も先祖や故人の魂の供養

「お斎(とき)」というのは耳慣れない言葉かもしれませんが、一般の人にもなじみ深い仏事の習わしです。
亡き先祖の魂や亡き故人に対する供養の表現として、葬儀やさまざまな法要や仏事がありますが、その折々に食事は欠かせません。そうした供養ごとや先祖への祀りごとにまつわる食事を、全部総称して「お斎(とき)」と言うのです。

たとえば、お盆に、真言宗ではご本尊に捧げる膳の「精進供」、もう一つは祀られている故人への魂に捧げる「霊供膳(りょうぐぜん)」という二つの御膳を供える習わしがありますが、一般家庭でもさまざまな食べ物を用意してお供えをします。それを生きている人間も食し、食を通して先祖や故人の魂と交流してふれあう。それがしいては供養になる考え方です。

葬儀をはじめさまざまな仏事には主催者とそこに参加するお客さんがいます。主催者を「施主」と言いますが、文字通り、施す人なのです。たとえば、現代は「初七日」が簡略化されて、葬儀の後、遺骨迎えまでの間、あるいは迎えた後、葬儀に参列した親戚やお世話になった人たちを「精進落とし」の会食に招きます。すなわち、食事を施すわけです。

故人への供養をしていただいたお礼のもてなしですが、食事を施すことは、故人や先祖になり代わって気持ちを表すことにもなり、二重に感謝の思いがこもって、故人への供養につながるわけです。

昨今では、供養のお経をあげてもらった後に、お坊さんも含めて一緒に食事をする習慣もなくなりつつあります。けれど、先に帰るというお坊さんには、いっぱい供物を持たせて帰ってもらう。それもお供養。先祖や故人の声です。

肉魚が並ぶ精進落としは他人さまの穢れを落とす

施主が用意する食事は、今は精進料理にこだわらず、肉や魚など豪華なメニューが並ぶことも少なくありません。

葬儀には身内ではない世話役の方や遠くから駆けつけた親類もいます。そういう方は「四十九日」には来られないでしょうから、目に見えない喪という重しからはずしてあげる。遠い親戚や他人さまの穢れを落とし、「禁忌」というものから解放してあげる意味もあります。食事に故人を偲び送る気持ちがこもっていれば、それでいいのです。

四十九日のときは、忌明け法要の後に「精進あげ」あるいは、これも「精進落とし」と言って食事や酒で盛大にもてなします。今は、仏教の「十善戒」「殺生戒」の捉え方で、四十九日の間、肉や魚をずっと我慢し精進潔斎する家族は極めて少ないと思います。ですが、本来は、四十九日が明けたことをある種喜び合い、これでやっと許される、ということになる、という意味の「精進あげ、精進落とし」です。

ですから、慶事やお祝いごとを避け、いろいろ我慢をしなくてはいけない、となる。それは忌中だからです。一生懸命、故人が成仏しようとしている、あるいはそれにエネルギーを注ぎ込んでる間に、生きてる人間がそういうことをしてはいけないと。しかし、現代はそうした考えが食事にまで反映されることは稀となりました。

魂を前向きに喜んで送る、食事にこもる供養の心

お通夜の際に出される食事も「お斎」です。また、一周忌や三回忌の法要やさまざまな法事の後、お彼岸の時の食事も「お斎」。けれど、それはあくまで故人の供養のために集まった方に提供する、施す食事がまた故人の供養につながるという考えが基にあります。

今はお通夜から、普通にお寿司を食べたりしています。仏事とはいえ日本でも供養ごとは完全に儒教化していると言え、儒教的にいうと、集まったときから肉や魚が出てきます。中国や朝鮮半島ではどんちゃん騒ぎになることもある。泣く役と笑う役がいて、一つのエンタテインメントのような様相となります。

それはなぜかというと、魂がこの世に未練を残してはいけないから。だから、喜んで送りなさい、という、でも、喜んでばかりではいけないから、泣き女という泣く役もあえて作るわけです。

死に方で辛いものを残した方は別ですが、寿命を得てこの世を去る方に対しては、後ろ向きには送らない。前向きに送ってあげる。よく、その人生を思い出してあげて、まっとうしたことをその魂に伝えてあげる、基本は喜んで送ることです。日本の「お斎」も、にぎやかな宴になってもいいのかもしれません。

「お斎」は、正式には斎食(さいじき)と言い、それを「おとき」と呼んでいます。この「斎」は当て字ではありますが、葬儀の後や四十九日の「精進落とし」がそうであるように、「斎=とき」というのは、おそらく、何かを解放する、何かを終わりにする意があるのだと思います。

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