写経がもたらすもの

写経がもたらすもの

写経の写真

近年、「写経」が静かな人気を呼んでいます。中高年はもとより若い人にも広がり、ストレス解消やリラックス効果を求めて始める人が少なくないとか。とはいえ、写経は仏教のお経を書き写すという仏道修行。心や体の癒しだけではなく、私たちをさらに深い境地へといざなってくれます。

書き写すお経の意味は知らなくていい

仏教の経典を書き写す写経は、日本人に根づいた宗教文化と言えるものです。昔から、一回の写経は百万遍のお経に通じると言われ、お経を唱えたうえで写経をすることは、故人の冥福を祈る先祖供養に大いなる功徳があると意味づけられてきました。

現代では写経の考え方も多様化し、厚い信仰心や供養のためという方はもちろんですが、心の浄化や安定、リラクゼーション、脳の活性化、集中力や自然な治癒力を高めたいなど、人それぞれです。お寺などで体験できますが、販売されている写経のセットを利用して自宅で気軽に始めることもできます。文字の上手下手は関係ありません。

写経をするのはどの経典でもよいですが、お手本になる代表的なお経はやはり「般若心経」でしょうか。仏事を通して日本人になじみのあるお経ですが、写経に際して、誰しもどういう内容のか知りたくなるもの。ですが、その意味はわからなくてもいいのです。

たとえば、「色即是空・・」と読むだけで、何かしら伝わってくるものがある。そうして穏やかな心持ちになります。それがお経の良さ。人にそういう気持ちを抱かせるのがお経の力なのです。漢文で書かれたお経を日本語に訳せば、もはやお経ではなくなってしまいます。

一文字一文字に心を運ぶ、写す、祈りをこめる

写経を始めようという人はどんな目的にせよ、少なからず、心の中に悩みや悲しみ、苦しみといったネガティブな感情や心のよどみを抱えています。一方で喜びを仏に返す、感謝を仏に捧げるという人もいますが、ほとんどの人は今ある悩みを和らげたり、病を治して欲しいといった祈りがあります。

そのため、写経した後には必ず「願意」というものを書き入れます。それは現世利益の「家内安全」や「無病息災」であったり、家族の「病気平癒」だったり、また、誰かの戒名を書いて故人に手向ける「追善供養」という方も多くいらっしゃいます。

写経は一文字一文字にそうした悲しみあるいは喜び、感謝や祈りを心をこめて写し替えていくことが大切。お経を心で聞き、唱え、一心に書写すること。写経は自分の心を映す鏡と言え、自身の今の心を文字に運び、写して吐露するということなのです。純粋に宗教的な作法として言えば、自分の心を捨てることでもあります。だからこそ、書き上げたときにはすがすがしい穏やかな心持ちになれるのです。

お経と出会い、自分と静かに向き合う尊い時間

昔は、ある程度高齢になると自然に写経をしたいと思うようになり、今の終活にも通じるでしょうが、周囲もそれを「死に支度」の一つとして捉えました。小林一茶は「死に支度、いたせいたせと桜かな」という句を残しています。桜のように散る覚悟を持ちなさいと謳ったもので、はかなく消えゆく命の無常を受け入れる準備をすることを潔しとしました。

ですが、無常にはもう一つの意味があり、新しく生まれ変わるという無常もあります。写経はそうした二つのベクトルの無常を実感させ、心を無にしさまざまな邪気や執着を取り去り心を入れ替えることで、未来への新たな意欲や力もわいてくるでしょう。

写経は文字をなぞることが多く、簡単に書けると思いがちですが、二百六十二文字の「般若心経」を書き写すだけで1時間以上かかる人もいます。けれども、時間の早さではないのです。お寺に集まって写経をする場合は一番遅い人が終わるまで待ちます。なぜなら、お経と出会っている尊い時間であり、自分の心と静かに向き合う貴重なひとときだからです。

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