今は自宅で亡くなるより病院や施設で息をひきとる場合の方がはるかに多いかもしれません。
その場合、病院や施設の霊安室で安置され、納棺してそのまま葬祭場に移す、ということもしばしば見られるようです。しかし、できれば、ひとまず故人を自宅に帰らせてあげたい。自宅に故人が戻った時、あるいは自宅で臨終を迎えた場合、納棺までの間に遺族は枕飾りなどさまざまに整えることがあります。
故人へのはなむけ、祈りがこもる「北枕」
まず、遺体を清める湯灌をします。これはこの世に生まれた赤ん坊の産湯と同様の考え方で、故人はあの世に生まれる、ということで身体を湯でふいて清めるわけです。その後、身づくろいをして死化粧を施し、女性なら薄く紅をさします。白い死装束を着せるのも今では葬儀社(おくりびと)が代行する場合が多いようですが、きれいに整えてあげるのは故人へのはなむけとして不可欠のことです。
遺体は胸元で合掌させて数珠を持たせ、顔を白い布で覆います。仏式では、遺体を北枕にして寝かせて安置するのがならいです。北枕の理由は諸説あり、お釈迦様が北に頭を向け西に顔を向けて亡くなった、つまり「涅槃」に入られた時の姿に由来するとも言われます。確かなのは、「北」は唯一の悟り者であるお釈迦様が住する世界、つまり仏様の世界ということ。ですから、悟りを得ないまま亡くなった人間がお釈迦さまの境地、悟りの境地にすみやかに進むことができますように、という祈りをこめて、北に故人の頭を向けるわけです。「北枕」は決して不吉なものではないのです。
また、短刀を遺体の上に載せることもありますが、これは「守り刀」。魂が抜けた遺体には何かが入りたがるもので、魔物やもののけが入ってとり憑かないようにする魔除け的意味合いがあります。
魂を浄土へ送るために整える「枕飾り」
故人の枕元には「枕飾り」と呼ばれる一式を整えます。白い布をかけた小机に、花立に挿した一本の樒あるいは一本の菊、香炉の一本線香、燭台には火を灯した一本のろうそくを置き、さらに、お茶または水、枕飯や仏前飯とも呼ばれる一膳の飯、そして、枕団子を作り、それらを並べてお供えします。
仏前飯はやはり炊きたてのごはんがよく、故人が家に帰ってからすぐご飯を炊いて準備するお宅もあります。ごはんは故人が生前使っていたお茶碗に丸く山盛りによそい、そこに宗派によって一本あるいは二本という違いはありますが故人の箸を立てます。
これは、一般的には一膳飯に箸を立てるので、故人の最後の食事であり、これから長い旅に出るのでそのための腹ごしらえと思われています。また、病気や突然のことで食べられなかったごはんをせめて最後に食べてください、と思いを重ねる遺族もいるでしょう。むろん、そうした食事という捉え方もありますが、飯と箸には大事な意味が隠されています。
実は丸く盛った一膳飯は「塚」に見立てたもの。そして、飯に立てた箸は塔です。この「塚の塔」が依り代のようになり、故人の魂がさまよわないように、依りつく場になって欲しい。今しばらく、葬儀で引導が渡されるまでこの塔にとどまっていてください、という祈りがこめられています。魂があちこちに行けば、浄土に送ることができないからです。
枕経をあげてもらい故人の冥福を祈る
枕団子は上新粉を練って6つ作り、皿に盛ります。この六つの団子はお地蔵さんへの願いを表していて、墓地の入り口には必ず六体地蔵が祀られていますが、悪いものをさえぎる役目をするのがお地蔵さんだからです。
団子の数の「六」は「六道(りくどう)=天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道」を指しており、仏教において生きとし生けるものが輪廻転生する六つの世界のこと。枕飾りで六つの団子を供えるのは、六体地蔵それぞれに故人の魂が決して餓鬼や修羅や地獄に行かないように団子を捧げて祈っているのです。地域によってその数や呼び名は異なることもありますが、その祈りは同じです。
こうして枕飾りが整えば、菩提寺あるいは縁のあるお寺の僧侶に枕経をあげてもらいます。遺族も後ろに控えて故人を偲び冥福を祈ります。
昨今、とくに都会では枕飾りと枕経は省かれてしまうことも少なくないようですが、僧侶や葬儀社とも相談しながら、故人のためにできるかぎり行いたいものです。
また、自宅でする葬儀が少なくなったためか、魂が戻ってこないように屏風などは逆さにし、神道は死を不浄とするので神棚があれば扉を閉じ扉がない場合は白紙で御神体を隠す、といった昔の日本人には当たり前だったことも知らない人が多くなりました。
死者を送る昔からの風習にはそれぞれに意味があり、いずれも人の死に対する畏敬の念と故人が極楽浄土へ迷わず向かうための祈りがこめられています。