求められる納骨堂

求められる納骨堂

合掌する喪服姿の男性の写真

墓じまいをするにはお骨の行き先を決める必要があります。お墓をどこに移すのか。お骨をどこに納めるのか。価値観が多様化し、いくつも選択肢がある中で、急激に需要が高まっているのが納骨堂です。現代を生きる多くの人にとって、新たな故人との再会の場になっています。

「永代供養」への信頼と精神性で選ぶお骨の行き先

今、全国で改葬・墓じまいが急増。ある調査ではこの10年で4割も増えたと言われます。それとともに、特に都会ではニーズに応える形で屋内納骨堂が増え続けており、中にはコンピュター制御で管理しお骨の入った厨子を自動搬送するものもお目見え。デジタル時代の流れを反映していると言えるでしょう。

納骨堂は「永代供養」が大きなポイントになっています。納骨堂や合祀墓の認可をする役所で最も重要視するのもその「継続性」です。つまり、寺の経営力や資産、周囲からの信用を見極め、永代供養が可能かどうか、管理の継続を保つ力があるかどうかを審査するわけです。

改葬先に納骨堂を選ぶ側にとっても、長い将来にわたりお骨を託す場所として、信頼し安心できることが第一の条件です。さらに、これまでのお墓と同じように先祖や故人の魂がそこでやすらぎ、家族が祈り再会する場にふさわしい場として、仏の世界の精神性を感じられることが何より大切でしょう。

「真実に帰る」永遠の魂を祀り、いつでも会える場

たとえば、西宮市の聖天寺では新しく設けた納骨堂に「帰真殿(きしんでん)」と名づけました。「帰真」とは、空海の死生観を表した言葉です。私たちは仏の世界から命をちょうだいし両親をご縁としてこの世に生まれ、肉体の死によって命はまた仏の世界―真実の世界に帰っていきます。すなわち、あの世で魂は永遠に生かされるのです。それが「真実に帰る」ということ。

死は大いなる悲しみですが、永遠の別れではありません。真実の世界に帰って悠遊する魂といつでも、この納骨堂でふたたび会うことができる。家族は愛しい故人の魂と多くの思い出を共有しふり返りながら、自身の生き方を問い直す場ともなるでしょう。

同寺では、ご先祖や亡くなった親の魂としっかり再会する場であることを根本に考え、あえて最新のデジタル化はせず、季節の自然に包まれるような納骨堂を実現しました。魂に生前と同じように四季を感じてもらえるよう、プラントハンター・西畠清順氏による花々のコーディネートで清浄なやすらぎ空間を創出。また、壁画家・木村英輝氏が絵筆をとり鮮やかに描いた涅槃の世界が、仏の加護を実感させます。

もちろん、宗派に関わらず受け入れており、寺が存続するかぎり永代にわたる鎮魂を約束。お祀りする故人のことを決して忘れず、供養の際には名前を天地に聞こえるぐらい大音で叫ぶその声は必ず魂に届くでしょう。仏の心がこもる永代供養堂なのです。

ここを選んでよかったと思える故人と自分の「終の住処」

私たちが選ぶ際には、料金やお参りに行きやすい近さやアクセスの良さなど現実面で見合うことも大きな条件になります。また、その寺で出会う僧侶の印象も少なからず左右します。長く守ってもらえるという寺と人への安心感と信頼があればこそ、大事なお骨を託すことができる。ここなら大丈夫、と思えるめぐり合いもまた「ご縁」なのです。

墓じまいをして納骨堂に移すことは、先祖代々が住んだ土地の墓をなくすことへの申し訳なさが気持ちのどこかにあるものです。ですが、二年三年と経つうちに納得や喜びへと昇華し、ここを選んでよかった、正解だったと思えるでしょう。
それは、お参りするたび亡くなった人たちと再会し、魂がここにいるのだと心から感じて自分や家族の拠り所になるからです。

現代は終活で納骨堂を生前予約する方も少なくありません。子や孫やひ孫がどれぐらい来てくれるかはわからないけれど、私に会いに来てくれる場所、という未来への願いを心に抱いて、自身の終(つい)の住処(すみか)を自分で決めるのです。

もし、誰も来なくても、あるいは身寄りのない方が自身すらいなくなっても、寺は守ってくれるでしょう。聖天寺では、納骨堂で毎日祈りを捧げ、ご家族もいらっしゃらない永代供養の方に対しても、命日と春と秋の彼岸・彼岸中、お盆の年4回、その方の魂と向かい合い拝んでくれます。納骨堂というのはお骨を管理・保管するのではなく、魂を見守る場だからです。

平成から令和になり、ますます先祖や親、自分の本当の終の住処を考える時代になることでしょう。ここでよかった、という選択をしたいものです。

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